がん宣告から8年―竹原慎二「人生の楽しみ方をはき違えていた」闘病生活を経て気づいた大切なこと


「じゃあの。」、広島弁のキャッチフレーズでタレントとしても活躍する元WBA世界ミドル級チャンピオン竹原慎二さん(50)。2014年に膀胱がんを発症、現在も通院を続けながら闘病する身だ。だが目の前の竹原さんは明るく壮健だ。自身の動画チャンネルでも屈強さを発揮するが、「本当は弱い人間」と本人は語る。どん底を味わい、自分の弱さに気づき、家族に支えられ、変化した人生観とは――。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)

「こう見えてもめちゃくちゃ弱い人間なんです」どん底の自分を女房が支えてくれた

――竹原さんが人生で一番つらかったことは何ですか?

一番つらかったのが、がん宣告されてステージ4だって言われたときです。ウソだろ、何かの間違いじゃないか。そう思って、他の病院でもいくつか診断を受けたんですけど、すべて同じ結果を告げられ、本当に心が折れました。完全に打ちのめされました。頭の中をめぐるのは、「もう死ぬんだろうな」「どうやって死ぬのかな」「病院じゃなくて家で死にたいな」と死ぬこと一色。そうやって悩んでいると次第に鬱っぽくなって、じたばたしても仕方ないのに、結局「どうしよう」ってずっと迷ってしまう。治療開始まで2カ月あったのですが、それまでがもう不安で不安で…。一日中家にいるので、寝たり起きたりしながら、同じようなことを考えて悩む毎日でした。

――そんなメンタルになりますよね。

僕、こう見えてもめちゃくちゃ弱い人間なんです。病院で先生から「あと1年です」と余命を宣告され、帰路、車の中ひとりで涙をダラダラ流してみっともないくらい大泣きしました。病院から帰ると女房も僕の様子から察して、もらい泣きしちゃって…。外から見たら、こいつらやばいんじゃない?と思うぐらい、二人でずっと号泣しました。そんな悲惨な状態だったんですけど、治療に入ってからは、わりと吹っ切れました。始めは不安で仕方なかったですけど、もう前向きになるしかないと気持ちを切り替えたんです。そんな心境になれたのも、やはり家族の支えがあったからだと思います。特に女房は、いろいろ調べて資料を集めてくれて、「こういう食事療法でがんを治した人がいるんだよ」と教えてくれ、「じゃあやってみよう」と真似させてもらったりして。セコンドみたいに寄り添ってくれて、夫婦二人三脚の闘病でしたね。その献身があったからこそ乗り切ることができたというのはあります。

けれど若い頃は僕、女房にはずいぶん迷惑をかけました。結婚後『ガチンコファイトクラブ』に出るようになって知名度も上がって、調子に乗る。家には帰りはするものの、毎日外で飲み歩いたり、ギャンブルに熱中したりの放蕩生活。とりわけギャンブルが好きで、有り金全部すってしまってへこんだこともありました。当時は、好きなことやればいい、楽しけりゃいいんだという考え。人生の楽しみ方をはき違えていましたね。自分勝手だったと反省していますが、それでもついてきてくれた女房には感謝してもしきれないです。

闘病中はブログに救われた―多くの実体験を知り、同じ境遇の人とつながりを持てた

――家族以外で心の支えになったことはありますか。


インターネットのブログですね。いろんな方のブログを読むと、僕と似たような患者さんが実はいっぱいいることがわかった。当時は自分の名前を公表していませんでしたが、つながって友達になり、お互いやり取りが始まる。そうしたら励まされるんですよ。なかにはステージ4の人でも「私は末期って言われたんですけど、頑張って今も生きています。10年たっています」というのもあった。それを読むと僕も、「やればできるんだ、頑張ろう」。希望というか、逆に今まで不安だったのに、「やってみよう」と前向きに気持ちが高ぶってくる。他にもがん治療法や、余命間近でやり残して後悔した話とか、多くの実体験を知ることができて、闘病中はそうしたつながりに救われました。

その一方で、「再発しましたが、頑張っています」とあったのに、何カ月後にブログが突然更新されなくなって、後日、家族の方が「旅立ちました」という報告があることも。そういうのはたしかに落ち込みますけど、ブログを通じて見知らぬ人とつながって、励まされたり励ましたりという関係をしっかりと築けたような気がします。振り返ってみても、僕にとってそれは新たな発見でしたし、確実に自分の人生のプラスになりました。

「私はまだ生きています」という情報は、励まし以上の強烈なメッセージ

そしていろいろ考えた末、僕は、人生の後悔のほうではなくて、手術が終わって退院したら、10個の目標を達成すると決めたんです。5年後の東京オリンピックを絶対見る。娘の卒業式に一緒に学校の正門の前で写真を撮る。広島カープの始球式で投げる。大好きなゴルフの番組に出る。ジムで日本チャンピオンをつくる。日本一の富士山に登る。フルマラソンを完走する、など。幸せなことに、現在はほぼ目標を達成していて、ジムで日本チャンピオンをつくるのと、ゴルフでシングルプレイヤーになることのふたつだけができていない。これはなかなか厳しいですね(笑)


――すごくいい話ですね。

どんな状況になろうとも、目標をつくったら楽しいですよ。僕の場合、それが生きがいになりました。同時に、家族やブログでつながった仲間と、闘病生活を共有し、共感できたことが喜びでもあります。

たとえば病人に「頑張って」と声をかけますよね。ちょっとへそ曲がりな言い方になるかもしれないけど、当の本人は必死で頑張っていて、それは当たり前。「頑張っているんだけど」と苦しい受け止め方になることもあります。しかし、自分と同じような体験者から「私はまだ生きています」という情報が伝わると、「頑張って」という励まし以上の強烈なメッセージを感じられる。心底勇気づけられるんです。

がん宣告から僕は8年目。今生きています。病気を公表してからネット経由でたくさん相談は来ますし、時間が許す限りやり取りしています。心が弱っているときに、励まされるとめちゃめちゃうれしいんです。俺をこんなに心配してくれる人がいるんだ、と。だから僕も、きちんと発信してコミットしていこうと思います。

限られた人生、すべてを楽しんでやらなきゃ損

――闘病を経て、人生観は変わりましたか。

前向きになれましたね。もともと僕はネガティブ思考。それが俄然アクティブになりました。がんになって死を宣告された。結局、人間はいつか死ぬとあらためて知ったわけです。しかし偶然かもしれないけれど、それでもこうして生き延びている。それも限られた時間、限られた人生の残りです。だったらこれからはすべてを楽しんでやらなきゃ損だなって思いました。面倒くさいなあと思うような仕事があったとしても、嫌々やったら時間の無駄。楽しみながらやったほうが得ですよね。だから苦手な仕事でもいまは楽しんでやっていますよ(笑)。

自分が現役時代、僕は勝つか負けるかしか頭になくて、とにかく無我夢中でした。強ければ何やったっていいんだという独りよがりの考えもありました。ファンレターに「竹原さんの試合を見て励まされました」と書いてあっても、さっぱり意味がわからなくて、なんで俺の試合見て励まされるのかなって思っていたくらい。でもいま、年を取ってわかるのは、やっぱり頑張っている姿勢が大事なんだなと。殴られてダウンしそうになっても、もしくはダウンしたときも立ち上がって一生懸命、反撃する。そういうのを見ると、人は自然と励まされる。スポーツってそういう感動があるんだなって思います。
『ガチンコファイトクラブ』でもそうでしたけど、練習生でも、いい加減で強くて生意気なやつよりは、負けてもいいから頑張る子を応援しますね。その子にチャンスを与えたいですね。屁理屈ばっかり言うやつはその程度。やっぱ頑張る子ですよ。一生懸命さが気持ちを動かすんだなと思います。

――今後やりたいことはありますか?

やりたいことは結構やっているかもしれません。今のモットーは楽しみながら生きること。広島の不良少年が成り上がってきたのが自分。ここまで頑張ってきたご褒美という意味で、最近千葉・九十九里浜に小さな別荘を買いまして、週末は女房と二人で泊まりに出かけます。そこで夫婦でゆっくり過ごすのが何よりも楽しみですね(笑)。


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  竹原慎二

広島県出身。1995年、日本人として初めてミドル級世界王座を獲得。引退後、タレント・俳優として活動する。また、ジム運営や商品プロデュースなどでも活躍。自身のYouTubeチャンネル『竹原テレビ』にて動画を配信中。

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