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不登校の中学生は20人に1人。年々増え続け、過去最多を記録しています。先生に助けを求めても向き合ってもらえず、「学校や先生が信用できない」と嘆き、自ら命を絶った中学1年生。SOSの声は、なぜ届かなかったのでしょうか。
【写真を見る】「先生は信用できない。もう無理、助けてくれない」中1男子が不登校から自殺、黒塗りの開示文書、学校・教育委員会「調査に影響が出る、答えは差し控える」【報道特集】
■「誰も知らない遠くへ行く」不登校だった中1男子生徒が自殺
2022年3月、大阪府泉南市の空き地で、不登校だった中学1年生の男子生徒が首をつって自ら命を絶った。
少年が亡くなって1か月後、私たちは自宅を訪ねた。母親の松波千栄子さん(48)。長男と次男の3人暮らしだった。
次男で中学1年生・13歳だった翔さん。亡くなった日の朝、「誰も知らない遠くへ行く」と兄に告げて家を出たという。
千栄子さん
「こんなんも勉強していました。教材でペンも挟まったままで、本に書き込んでいる」
翔さんは小学生の頃から正義感が強く、クラスの輪に入れない子がいると、声をかける優しい少年だった。通知表には・・・
「そうじの時間では、自分の係の仕事ではなくても積極的に手伝い、クラスのみんなを助けてあげることができました」
しかし、小学3年生の頃、2つ上の兄がいじめを受けるようになり、翔さんも上級生にからかわれるように。
先生に相談しても、真剣に受け止めてもらえず、時には「お前の言うことは信用できない」と言われたという。
次第に学校に居場所を失い、不登校に。小学6年生の1年間は一度も学校に行けなかった。
■「大人は全く変わらない。もう無理、助けてくれない」先生や学校への不信感
千栄子さんは、翔さんが小学4年生のときに離婚。家に閉じこもる翔さんを一人にするのが心配で、できる限り一緒にいるようにしてきた。
千栄子さん
「私の職場があの子のフリースクールみたいになって、一緒に出勤して帰ってくる日々だった」
千栄子さんは、引きこもりの若者を支援するNPOで働いていて、そこが翔さんの居場所となった。
千栄子さん
「畑があったからイチゴを植えて『翔のイチゴ』って言って、一生懸命育てるために、寒い日も休みの日も、水をやりに来て」
将来は、司法試験を受けて検察官になりたいと話していた翔さん。中学から心機一転、学校に通うことを決心する。
しかし、入学してまもなく不登校だった過去を馬鹿にされ、「少年院帰り」などという言葉を廊下で耳にするように。
担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われたという。
同じ中学校に通っていた兄。思い出すのは、先生や学校への不信感を語っていた弟の姿だ。
翔さんの兄
「先生のことはいじめも解決できないし、信用できないって言っていました。自分は変わろうとしたのに、大人は全く変わらないと。もう無理やと、助けてくれないと言っていた」
■「僕らだけつらい思いして、理不尽すぎ」中1男子生徒が発したSOS
夏休みが明けた頃、「自分が小学校で不登校だった理由をクラス全員に話してほしい」と担任に伝えた。しかし、できないと言われ、その後、中学も不登校になった。
翔さんと千栄子さんは、学校や教育委員会に対し、転校させてほしいと求めたが、願いは受け入れられなかった。
泉南市教育委員会は「翔さんが登校できる状態にならないと転校の判断ができなかった」と釈明する。
泉南市教育委員会事務局 岡田教育部長
「せめて今の学校に来られる状態になったうえで、この状況だったら(学校を)変わっても構わないという話ができるのかなと」
記者
「まず今の学校に行けるようにというのは、そもそも無理な話では?」
岡田教育部長
「例えば病院の診断書があるとか、そういう場合ならば話は別になると思う」
精神疾患を患っていることを証明する医師の診断書などがあれば、転校の判断ができたとしている。
学校や教育委員会に自ら掛け合っても、受け入れられなかった翔さん。行政や民間の複数の窓口にも助けを求めていた事が亡くなった後、分かった。
千栄子さん
「相談していたメッセージが何個か出てきている」
2021年10月、弁護士会が設けているLINE相談窓口に送っていたメッセージ。兄弟でいじめられていたことを書き込んでいる。
「6年の1年間学校に行けなく、修学旅行にも卒業式も出られず、卒業証書ももらえなかった。・・・僕らだけつらい思いして、理不尽すぎ」
亡くなる2か月前には、大阪府の相談窓口にも転校したいと訴えていた。
「市の教育委員会に言うけど、ダメの一点張りで、あげく他の仕事があるから対応できないと、放ったらかしです」
自殺予防の活動をしている団体にもメールを送っていた。しかし、具体的な解決にはつながらなかった。
■教育委員会 4か月審議せず放置、遺族が求めた開示文書は黒塗り
泉南市では、全国でも珍しく「子どもの権利に関する条例」を2012年に制定し、「子どもにやさしいまち」の実現を掲げている。
市の第三者機関は、「建前だけの条例になっている」と指摘したうえで、学校や教育委員会が翔さんのSOSに向き合っていないと批判する。
泉南市子どもの権利条例委員会 吉永省三会長
「子どもの話を聞くことは、子どもが置かれている社会的な状況を少しでもよりよく変えていこうとすること。そういう仕組みとして、子どもの話を聞くことが成り立っていない。大人の社会に対する失望ですよね」
第三者機関が翔さんの自殺の経緯を調べるなかで、判明したことがある。実は、亡くなって4か月が経ったあとも、教育委員会は翔さんのことを審議せず、放置していたのだ。
また、中学校のクラスメイトは亡くなった事実さえ知らされていなかった。
さらに、遺族の求めに応じて教育委員会が開示した文書は・・・
千栄子さん
「これで、何がわかりますか、何を開示しているんですか。ただ単に真っ黒になっているだけですよ。すべてですよ。日付しかない」
教育委員会は、「調査に支障が出る」として、翔さんと学校のやりとりの記録や相談した内容を黒塗りにした。
翔さんが命を絶って半年以上がすぎた2022年9月末。学校は亡くなった事実をようやくクラスメイトに伝えた。
■見過ごされたSOS 学校・教育委員会「調査に影響が出る、答えは差し控える」
2022年10月、中学校の校長と教育委員会の担当者が自殺した翔さんの自宅に訪ねてきた。亡くなってから7か月、学校側が自宅に入るのは、この日が初めてだ。
校長
「お母さんの悲しみの深さを思いますと、お言葉が出ないのが正直なところ。今回はこうして、まずはお悔やみを申し上げたい」
千栄子さんは、翔さんの相談に対して学校はどう対応したのか教えてほしいと事前に伝えていた。
千栄子さん
「悪口を言われたことを訴えていたが、調査はされましたか?」
校長
「申し訳ないです。答えるのは控えさせてください」
千栄子さん
「なぜですか?」
校長
「調査の方に影響が出るかもしれないので、ここでは控えさせて下さい」
千栄子さん
「亡くなったことをクラスメイトに伝えられずにいた翔君の気持ちは、どのようにお考えですか?」
校長
「申し訳ないですけど、答えを控えさせてください」
千栄子さん
「翔君に対するいじめはあったんでしょうか?」
校長
「申し訳ないですけど、ここで答えるのは控えさせてください」
教育委員会担当者
「我々も調査を受ける立場になる中で、あのときこう言ってましたよね、という話が今後またいろいろ出てくるわけです。個人の判断の中での反射的な答えは、なかなかできづらい状況にあることはご理解ください」
調査に影響が出る、答えは差し控える、同じ言葉を繰り返すだけだった。
翔さんが亡くなった後、千栄子さんが行きたくても行けなかった場所がある。自宅から歩いてわずか5分。翔さんが最期に選んだ場所。翔さんのためにも見ておかなくてはと、決心した。
亡くなる2日前、翔さんは「ママには借りがある」と言って肩をもんでくれたという。千栄子さんの前では最後まで気丈に振舞っていた。
千栄子さん
「こうやって声を出し続けて、自分たちが受けてきた仕打ちとか、絶望してしまった子の存在を世の中に知ってもらって、この子が少しでも報われたらと思う」
1月27日、泉南市は第三者委員会を設置し、ようやく調査を始めた。翔さんの死から10か月が経っていた。
*「 よく やったな スライム。 」
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